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こんばんは。
年が明けてから京阪電車の話題が殆どありませんでしたが、
いつの間にか「きかんしゃトーマス号2011」特設ページにて動きがありました。

・「きかんしゃトーマス号2011」広報映像の公開
・10~16時に放送されるトーマスの自動放送が毎日に拡大(従来は土休日のみ)
・「きかんしゃトーマス号2011」宇治線出張運転(2/24~2/28)

まぁ、広報映像は別として残りは「毎度お馴染み」感があるので特に感想はありません。
(地元民だったら宇治線撮影に突撃してたんだろうけどなぁ…)

さて、都営バス10系統巡り①都営バス10系統巡り②都営バス10系統巡り③の続きです。
(行程概要は①の記事をご確認ください)


草39 金町駅

[草41]の終点・浅草寿町に到着し、暫く歩くと銀座線の駅入口が。
「浅草だ!」と思って近づいたのですが、なんとそこは田原町駅でした。物凄く意外。

というのも、銀座線の稲荷町・田原町は物凄く末端感があると思っていたからです(←偏見)。
稲荷町は実際問題、利用客最下位で乗車人数6000~7000人なんですが、
田原町の乗車人数は12000~13000人で推移しており隣同士とはいえ様相はだいぶ異なります。
街並みの雰囲気から考えても、田原町はもはや浅草の一部ですから。

で、田原町の駅入口の柱にはあるものがありました。それは…。

P1100867.JPG
▲何故か落し物が柱にくくりつけてある光景。商店街の方が拾ったんだろうな…。@浅草寿町

こうした光景がよくあるのか珍しいのかよく分かりませんが、
個人的にはこういう光景が久し振りなこともあってちょっと心が温まりましたね。
(しかし、落し物をされた方が観光客だと残念ながら見つかる確率は限りなく低くなりますね)

次に乗る青戸支所の系統は、このプチ旅行計画の中で日中運行間隔が唯一20分以上。
寒い中待てど暮らせどバスは到着せず、ようやく対向車線に青戸支所の回送車を発見。
(車体側面に「B-V333(渋谷)」のように営業所・支所名が記されているので分かりやすいです)
「もうすぐ来る!」と思いながら待つこと数分、到着したバスに乗り込みました(←ここ重要)。

P1100875.JPG
▲経由地表示はないですね。金町ゆきの都営バスはこれだけですが。@浅草寿町

浅草寿町発車時点ではガラガラだったので「本数も少ないし、需要ないのかな」と思いきや、
次の浅草一丁目で大量にお客さんが乗ってきてまさにすし詰め状態。
ほとんどがおじさん~おじいさん、おばさん~おばあさんでしたが、下町ならではでしょうか?
車内では競馬新聞やワンセグで相撲の視聴等、皆様が各々のことをされていました。

さて、本所吾妻橋を出たところで次のバス停は業平橋駅前。しかし、僕は異変に気づきました。

「次は、言問橋、言問橋…」

この時点で怪しいとは思っていましたが、その後バスが直進すべきところを左折するのを見て、
僕は確信しました。そう、このバスの運転士は致命的な勘違いをしていると。

…ふざけた責任転嫁はこの辺にしておいて、なんと僕は乗る系統を間違えてしまったのです。
本来は[上23]平井駅前ゆきに乗る予定だったのに…。慌てて言問橋で降りる羽目になりました。


都08  錦糸町駅

言問橋(ことといばし)…面白い地名ですね。その由来は在原業平の詠んだこの歌にあるようです。

名にし負わば いざこと問わむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

この歌の意味をかつて受けた古文の授業の曖昧な記憶を繰り出しながらいい加減に書くと、
江戸にやってきた在原業平が都鳥を見つけ、
「都という名がついているからには」と自分の恋人はまだ自分を想っているのかと問う歌です。
(きちんとした解説は伊勢物語関連の書籍をご参照くださいませ)

ところが、この歌に関係あるのは現白鬚橋付近にあった「橋場の渡し」のようなんですね。
一説には、明治にこの地で団子を売ろうとした主人が、
隅田川にゆかりのおある在原業平から「言問団子」と名付け(これは今でも有名ですね)、
売りだしたところ人気になったことからこの土地が言問ケ岡と名付けられ現在に至るんだとか。

P1100021.JPG
▲言問通りを経由し、上野公園~根津駅前~押上~亀戸駅前を通る[上26]。@谷中~上野桜木

で、この言問橋から押上まで移動しなければならないのですが[上26]は本数が少ない。
距離もさしてありませんし、今回は歩いて押上に向かうことにしました。
(尚、[上26]は上野桜木から言問通りを業平橋方面に進むと、
 正面に東京スカイツリーが近づいてくる車窓が見られるのでお薦めですよ!)

P1100022.JPG
▲高架より、ビル群の間から背を伸ばすスカイツリーの画。@上野桜木~下谷二丁目

P1100023.JPG
▲平地に降りるとその高さがひしひしと伝わってきます。@下谷二丁目~入谷鬼子母神

業平橋駅まで近づくと、かなり大規模な工事があちこちで行われていました。
きっと、全部スカイツリーを主軸とした事業なんでしょうね。
(ところで、浅草近辺を走っていた東武系のバスの行先を見たら、
 なんと「東京スカイツリー前」となっていたのですが…。これは些か気が早すぎな気が)

因みに勘の鋭い方はお気づきでしょうが、業平橋もかの在原業平から地名がつきました。

本来ならば押上まで歩く筈だったのですが、
業平橋駅前からでも次の系統[都08]に乗れることが発覚したのでそこから乗車。
乗務員さんの接客は…うん…よい訳ではないです…。
(南千住営業所は観光路線バスを謳う[S-1]も担っているので、
 接客には特に注意を注ぐべきだと思うのですが…。もしかして乗務員シフト別だったり?)

ところでこの系統番号、今までの系統番号と性質が違うことにお気づきでしょうか?

・白61…目  ・上69…野  ・池86…袋  ・王40…子  ・草39・41・63…浅

そう、今までの系統番号は全て経由地の地名に則っているのです。
ところが「都」に関しては、都01~08がありますが運行されている地域に共通性はありません。
実はこれ、都市新バスというバスなのです。

都市新バスとは、都市交通上重要なバス路線に様々な施策を施し、サービス向上を図ったもの。
初期には国からの補助金も投入され、都営バスだけではなく様々な府県で導入されています。

都営バスでは1984年に、渋谷駅前~新橋駅前の[都01]を皮切りに全国に先駆けて導入されました。
後から「グリーンシャトル」という愛称も付けられる等、都も本気だったのです。

・バス停はシェルター構造・接近情報の表示・音声案内付
・車両は冷暖房完備・大型窓・ワイドドア・次駅表示装置・セパレート型ハイバックシート
・インフラ面では道路にバスレーンを導入・頻発運転の実施・運行管理システムによる間隔調整

と、当時にしてはまさに素晴らしい設備の数々で、利用客は1.5倍に跳ね上がりその後も順調に推移。
この取り組みは結果的にバス車両の設備全体の底上げにもなりました。

P1030027.JPG
▲「グリーンシャトル」の銘板のほか、(横断幕で隠れていますが)専用のマークも設定。@渋谷駅前

で、[都08]はこの取り組みが行われた最後の系統。愛称は「グリーンリバー」で、隅田川に因みます。
錦糸町駅前・の2つ前、太平三丁目で降りて、同じく都市新バスの[都02]に乗り換えようとしたところ…。

P1100879.JPG
▲信号の状態からしてどう考えても間に合いません…。@太平二丁目~太平三丁目

あと10分ぐらい待ってもよかったのですが、あまりにも寒いので錦糸町までまた歩きます。
結局、ここで時間切れ。旅行計画は途中で打ち切る形になってしまいました…。
まぁ、都営バスに関して色々な発見や刺激があったのでよしとしますか。


この連載はこれで終わりです。ではでは。
10系統乗っていないだろうって?学校への行きと駅から家までの帰りに1系統ずつ乗ってます(笑)
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