プロフィール
HN:
Keihan7203F
性別:
男性
職業:
高校生
趣味:
鉄道。路線バスにも興味あり。
カテゴリー
リンク
ブログ内検索
カウンター
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
えぇ、細々ダラダラと続けてきた「都06系統で巡る橋の旅」シリーズも最終回です。
初回の記事はこちら、前回の記事はこちら、行程概要地図はこちらをご覧頂ければと思います。
恵比寿橋の次のバス停は渋谷橋。とはいえたった1区間ですから歩いて行くことにしました。
この橋は駒沢通りの橋であり、駒沢通りは明治通りと交わる「渋谷橋」交差点で終わっています。
▲都営バスも行き交いますが、これらは[都06]ではなく[田87]や[学06]です。
[田87]は渋谷駅~恵比寿駅~白金高輪駅~田町駅を結んでいる系統で、
[学06]は恵比寿駅~日赤医療センターを結んでいる系統です。
また、他社のバスだと東急バスの[渋72](渋谷駅~五反田駅)も渋谷橋を渡ります。
さてこの渋谷橋、場所はというと恵比寿駅から徒歩2分というところにあり、
「渋谷なんて名乗っていいのか?」と首を傾げてしまうかも知れません。
更に、渋谷駅付近の橋が「宮益橋」と名付けられているのも不思議でなりません。
元々渋谷という地名は、現神奈川県大和市周辺から出てきた氏族・渋谷氏が、
この周辺に居を構えたことから始まるとされています(この他にも様々な説があるようです)。
鉄道に詳しい方なら小田急線の高座渋谷駅がピンと来るかも知れませんね。
今でこそ渋谷と言えば東京ですが、地名の由来としては高座渋谷が先発だったのです。
ところが、その"渋谷"の中心地が現在とだいぶ違っていたようで、
明治時代には広尾駅前の商店街から恵比寿駅前にかけてが中心だったというのです。
即ち、この橋はまさに"渋谷"への入口。渋谷橋と名がつくのも納得がいきますね。
明治時代、この橋は実に立派な橋で、渋谷川随一の橋だったそうです。
更に、江戸時代にも「大板橋」と呼ばれていたようで、元々賑わいはあったのかも知れません。
(ただ、江戸時代のこの地域は「江戸の外れ」ですから現在ほどではないでしょうが)
渋谷橋から歩くこと数分、渋谷橋の次のバス停である東三丁目に辿り着きました。
東とはまた素っ気無い(?)名前ですが、昭和40年代に常磐松町と氷川町の2つの地域を統合して、
1つの地名を割り当てることになった際両者がかなり揉めてしまったそうなのです。
それで、「恵比寿の東」「渋谷の東」ということで、妥協案的な結論としてこの地名がついたんだとか。
要するにこの地名が誕生してからまだ50年も経っていない訳で、かなり新しいんですね。
で、この東三丁目と渋谷橋の停留所が近いんだ、また!とはいっても新橋方面のみですが。
▲左のポールが東三丁目で、右端に見える緑色の大型バスが停車しているのが渋谷橋。@東三丁目
この区間、自動放送が鳴り終わる前に渋谷橋に到着してしまうこともしばしばあります。
尚、この写真の奥の交差点で右折する[田87]は、東三丁目は停車、渋谷橋は通過します。
因みに渋谷方面において両者のバス停が離れているのは、
渋谷方面の渋谷橋停留所が「渋谷橋」交差点の新橋側にあるためです。
このシリーズで巡る最後の橋は並木橋。
渋谷駅前から1つ目のバス停であり、利用価値の低い渋谷駅新南口への最寄りバス停です。
▲これまでご紹介した橋の中で最も小さいと思われる並木橋。
並木橋ということは当然並木が何かしらの形で関わってくると思うのですが、
それらしい碑も名残も見つけることはできませんでした…まぁ、ここまで開発されるとね。
▲すぐ隣には新並木橋。この通りを行くと突き当たりは旧山手通り・代官山付近です。
さてこの並木橋、上を東急東横線が通っている訳ですけれども、
実はかつてここに駅が存在していたのです。とはいえ、たった18年ですが。
その名もズバリ、並木橋駅。
元々現多摩川駅までだった現在の東横線を渋谷まで延伸した1927年にできた駅で、
渋谷駅からは600mでしたが、付近の学校へのアクセス駅としての役割を果たしていたそうです。
(付近の学校とは青山学院や國學院大學のことで、現在は都営バスがアクセスを担っています)
ところが、1945年の東京大空襲で焼失、そのまま廃駅になってしまったのです。
(尚、現在東横線は20m車8両=全長160mの車両による運転であることから、
仮に空襲がなかったとしても駅間が短すぎて廃駅になっていただろう、と考える人もいます)
廃駅になってしまった現在でもホーム跡は残っているようで、
当時の16m車2両による運転だった頃の名残はかすかに残っていると言えるでしょう。
ただ、今年度中には副都心線との直通に伴い代官山~渋谷間が地下化されるとのことで、
残念ながら並木橋駅の跡、空襲の跡は間もなく見納めになってしまいます。
よくよく考えてみれば、東横線の両端駅の姿は、10年前と今とで驚くほどの変貌を遂げるんですね。
桜木町は廃止になり、渋谷も地下に埋まる。寂しさを禁じえません…。
さて、これで「都06系統で巡る橋の旅」は終わりです。
今回はたまたま「都06の停留所って橋で終わるものが多いなぁ」と思ったことから始まり、
結果として(自分自身で)様々な発見ができたと思います。
またこうした切り口から、色々な旅ができたらな、と思うのでありました。
最後になりましたが、長々とお付き合い頂きましてありがとうございました。
▲「橋」の多さに気付かされる都06の側面方向幕。渋谷駅以外、経由地表示は全て「橋」。
初回の記事はこちら、前回の記事はこちら、行程概要地図はこちらをご覧頂ければと思います。
~ 恵比寿駅前の渋谷橋 ~
恵比寿橋の次のバス停は渋谷橋。とはいえたった1区間ですから歩いて行くことにしました。
この橋は駒沢通りの橋であり、駒沢通りは明治通りと交わる「渋谷橋」交差点で終わっています。
▲都営バスも行き交いますが、これらは[都06]ではなく[田87]や[学06]です。
[田87]は渋谷駅~恵比寿駅~白金高輪駅~田町駅を結んでいる系統で、
[学06]は恵比寿駅~日赤医療センターを結んでいる系統です。
また、他社のバスだと東急バスの[渋72](渋谷駅~五反田駅)も渋谷橋を渡ります。
さてこの渋谷橋、場所はというと恵比寿駅から徒歩2分というところにあり、
「渋谷なんて名乗っていいのか?」と首を傾げてしまうかも知れません。
更に、渋谷駅付近の橋が「宮益橋」と名付けられているのも不思議でなりません。
元々渋谷という地名は、現神奈川県大和市周辺から出てきた氏族・渋谷氏が、
この周辺に居を構えたことから始まるとされています(この他にも様々な説があるようです)。
鉄道に詳しい方なら小田急線の高座渋谷駅がピンと来るかも知れませんね。
今でこそ渋谷と言えば東京ですが、地名の由来としては高座渋谷が先発だったのです。
ところが、その"渋谷"の中心地が現在とだいぶ違っていたようで、
明治時代には広尾駅前の商店街から恵比寿駅前にかけてが中心だったというのです。
即ち、この橋はまさに"渋谷"への入口。渋谷橋と名がつくのも納得がいきますね。
明治時代、この橋は実に立派な橋で、渋谷川随一の橋だったそうです。
更に、江戸時代にも「大板橋」と呼ばれていたようで、元々賑わいはあったのかも知れません。
(ただ、江戸時代のこの地域は「江戸の外れ」ですから現在ほどではないでしょうが)
~ バス停が近い!(その2) ~
渋谷橋から歩くこと数分、渋谷橋の次のバス停である東三丁目に辿り着きました。
東とはまた素っ気無い(?)名前ですが、昭和40年代に常磐松町と氷川町の2つの地域を統合して、
1つの地名を割り当てることになった際両者がかなり揉めてしまったそうなのです。
それで、「恵比寿の東」「渋谷の東」ということで、妥協案的な結論としてこの地名がついたんだとか。
要するにこの地名が誕生してからまだ50年も経っていない訳で、かなり新しいんですね。
で、この東三丁目と渋谷橋の停留所が近いんだ、また!とはいっても新橋方面のみですが。
▲左のポールが東三丁目で、右端に見える緑色の大型バスが停車しているのが渋谷橋。@東三丁目
この区間、自動放送が鳴り終わる前に渋谷橋に到着してしまうこともしばしばあります。
尚、この写真の奥の交差点で右折する[田87]は、東三丁目は停車、渋谷橋は通過します。
因みに渋谷方面において両者のバス停が離れているのは、
渋谷方面の渋谷橋停留所が「渋谷橋」交差点の新橋側にあるためです。
~ 廃駅の跡もあと僅かで…? ~
このシリーズで巡る最後の橋は並木橋。
渋谷駅前から1つ目のバス停であり、
▲これまでご紹介した橋の中で最も小さいと思われる並木橋。
並木橋ということは当然並木が何かしらの形で関わってくると思うのですが、
それらしい碑も名残も見つけることはできませんでした…まぁ、ここまで開発されるとね。
▲すぐ隣には新並木橋。この通りを行くと突き当たりは旧山手通り・代官山付近です。
さてこの並木橋、上を東急東横線が通っている訳ですけれども、
実はかつてここに駅が存在していたのです。とはいえ、たった18年ですが。
その名もズバリ、並木橋駅。
元々現多摩川駅までだった現在の東横線を渋谷まで延伸した1927年にできた駅で、
渋谷駅からは600mでしたが、付近の学校へのアクセス駅としての役割を果たしていたそうです。
(付近の学校とは青山学院や國學院大學のことで、現在は都営バスがアクセスを担っています)
ところが、1945年の東京大空襲で焼失、そのまま廃駅になってしまったのです。
(尚、現在東横線は20m車8両=全長160mの車両による運転であることから、
仮に空襲がなかったとしても駅間が短すぎて廃駅になっていただろう、と考える人もいます)
廃駅になってしまった現在でもホーム跡は残っているようで、
当時の16m車2両による運転だった頃の名残はかすかに残っていると言えるでしょう。
ただ、今年度中には副都心線との直通に伴い代官山~渋谷間が地下化されるとのことで、
残念ながら並木橋駅の跡、空襲の跡は間もなく見納めになってしまいます。
よくよく考えてみれば、東横線の両端駅の姿は、10年前と今とで驚くほどの変貌を遂げるんですね。
桜木町は廃止になり、渋谷も地下に埋まる。寂しさを禁じえません…。
さて、これで「都06系統で巡る橋の旅」は終わりです。
今回はたまたま「都06の停留所って橋で終わるものが多いなぁ」と思ったことから始まり、
結果として(自分自身で)様々な発見ができたと思います。
またこうした切り口から、色々な旅ができたらな、と思うのでありました。
最後になりましたが、長々とお付き合い頂きましてありがとうございました。
▲「橋」の多さに気付かされる都06の側面方向幕。渋谷駅以外、経由地表示は全て「橋」。
PR
この記事にコメントする