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どうも、最近自分の体調が心配なKeihan7203Fです。
まぁ、大して具合が悪い訳でもないのでただの風邪でしょう。頑張って治します…。

さて、本日は都06系統の"ある特徴"を追う旅をしてきました。それは…。

P1100902.JPG
▲都06系統案内図。バス停の名前を見れば、ある漢字が多いことに気づきます。@金杉橋

駅前(新五丁目・新六丁目)・金杉・芝園・赤羽駅前・中ノ
二ノ・三ノ・古川・四ノ・天現寺・恵比寿・渋谷・並木…。
そう、驚くほど橋のつくバス停が多いのです。

「橋がつく」と言えば、僕のHNにもなっている京阪電車にも思い当たる節はあります。
渡辺・大江・なにわ・淀屋・天満・京…。
京橋以西で「橋」がつかない京阪電車の駅は中之島と北浜しかありません。
これらの駅は、いずれも寝屋川や大川、安治川等の川に架かっている橋の名前なのです。

同様に、[都06]のこれらの「橋」についても、実際に架かっている川があるに違いない!
ということで今回、これらの橋から面白そうな場所をピックアップして実際に訪問してみました。
(今回の行程概要地図はこちらをご参照ください、ブログに貼りつけようとしたらエラーが出たので)


~ 「新橋」は実在するのか? ~

スタートは新橋駅前。サラリーマンの聖地とも言える新橋駅前ビル1号館前にバス停はあります。
ここは都営バス的にも運行拠点の1つとなっており、日中は以下の系統が発着しています。

都01 溜池・赤坂アークヒルズ前・六本木駅前経由 渋谷駅前ゆき
市01 築地中央市場循環・国立がん研究センター前循環
業10 銀座四丁目・豊洲駅前・菊川駅前経由 業平橋駅前ゆき
橋63 市ヶ谷駅前・国立国際医療センター前経由 小滝橋車庫ゆき
渋88 麻布台・六本木駅前経由 渋谷駅前ゆき

ところが、このうち[業10]に限っては、新橋駅前ビル1号館前から発車しないのです。
バス停の名前も、「駅前」を取った新橋となっています(以前の記事でも軽~くご紹介しました)。

P1100897.JPG
▲入庫便の[業10]が、[業10]専用の「新橋」停留所から発車していきます。@新橋

しかし、20時以降は「新橋駅前」停留所から発車する[市01]が終了するので、
[業10]も利便を図って「新橋駅前」から発車するようなのです。そのバス停の表記はというと…。

P1100898.JPG
▲[業10]は「新橋」から発車する筈なのですが、表記は「新橋駅前」となっています。@新橋駅前

時刻表の左下に書かれている停留所名表記に関して、小鳥の巣箱様のサイトによれば、
2003年現在では「新橋(駅前)」という表記がなされているようですが、
[市01]待ちの先客もいらっしゃる中で時刻表だけ撮影して退散する勇気はなかったので、
今回は確認できませんでした…また機会を見つけて出撃してみたいと思います。

さて、都営バス的には面白さのある「新橋」ですが、「新橋」という名の橋はあるのでしょうか?
Wikipedaを確認したところ、以下のような記述が見られました(一部省略しています)。

町名は、汐留川に架かっていた「新橋」に由来する。(現在の銀座八丁目交差点南側)

で、この汐留川というのは殆どが1963年までに埋め立てられてしまっているんですね。
すなわち、新橋は現在橋として機能しておらず、見た目にも一見橋があったとは思えません。

P1100896.JPG
▲橋があると言えばありますが、首都高の陸橋ですよね…。名前も「銀座新橋」となっています。

高架下にはかに道楽等の店が立ち並び、まさに川があったことは忘れ去られようとしています。

ところで、銀座八丁目交差点では中央通りと御門通りが交わっているのですが、
この「御門」は新橋の名に代わって使われていた時期があったのです。

御門はその正式な名前を芝口御門といい、
江戸時代に朝鮮からの使いに対して日本の威光を示す為に造られたのだそうです。
このとき、新橋と呼ばれていた橋は芝口御門橋に改められました。
しかし、芝口御門が消失したことをきっかけに再び新橋に名を戻され現在に至ります。

これでようやく新橋の見学は完了。いよいよ[都06]で移動、次なる橋に移動します…!

次回に続きます。
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こんばんは。ここ最近の考え事が「13000系まだか!」ばっかりなKeihan7203Fです。
昨年末に一度構体は敷地外から見える場所にお目見えしたらしいですけどね…気長に待ちましょう。

さて、以前ツイッターでつぶやかせて頂いた通り、定期列車が廃止となる急行「きたぐに」について、
JR西日本・JR東日本新潟支社より春の臨時運転のあらましが発表されましたのでまとめてみます。

P1100603.JPG
▲定期列車ではまもなく廃止される急行「きたぐに」。利用客低迷が原因です。@亀田

~ 概要 ~

1.新潟駅の発着時刻の変更

定期「きたぐに」では、新潟ゆきが新潟08:29着、大阪ゆきが新潟22:58発となっていますが、
臨時「きたぐに」では、新潟ゆきが新潟06:54着、大阪ゆきが新潟22:37発に変更されます。
尚、大阪駅の発着時刻は従来通りです(どこまで時刻が変更されるのかは不明)。


2.車両(組成)の変更

定期「きたぐに」では、A寝台が1両、B寝台が4両、グリーン車が1両、自由席が4両でしたが、
臨時「きたぐに」では、B寝台が6両、グリーン車が1両に変更され、A寝台・自由席は消滅します。


3.停車駅・経由地の変更

定期「きたぐに」の停車駅は、大阪・新大阪・京都・大津・彦根・米原・長浜・敦賀・武生・福井・小松・
金沢・高岡・富山・(滑川)・魚津・(黒部)・(入善)・(泊)・糸魚川・直江津・柿崎・柏崎・来迎寺・長岡・
見附・東三条・加茂・新津・(亀田)・新潟でした(括弧内の駅は新潟ゆきのみ停車)。
臨時「きたぐに」では、京都~敦賀間が湖西線経由になり大津・彦根・米原・長浜は通過となります。
また、新潟ゆきにおおける新津→新潟間快速の設定がなくなり、亀田も通過となります。


~ 考察と予想 ~

1.新潟駅の発着時刻の変更 ~ 快速「おはよう信越」とのバッティング回避か?

定期「きたぐに」の新潟ゆきに関しては、直江津~新潟間で通勤客の需要が認められることから、
廃止後も代替として快速「おはよう信越」が同様の時刻で毎日運転されることになっています。
(快速「おはよう信越」を含めた新潟地域のダイヤ改正についてはこちらの記事をご参照ください)
従って新潟ゆきに関しては、臨時急行「きたぐに」を現在の時刻のままで運行することは不可能であり、
この点を解消する形での時刻変更が行われているものと見られます。
そもそも、「きたぐに」の新潟到着が08:29と遅いのは通勤客輸送を兼ねている要素もあるので、
快速「おはよう信越」にその役目を譲ったことにより早くすることができた、とも言えます。

尚、大阪ゆきの新潟駅での発車時刻が若干早まっている原因はよく分かりません。
そればかりか、22:37発だと後続の22:38発・普通長岡ゆき(土休日は新津ゆき)がノロノロ運転に…。
(先行している臨時「きたぐに」の方が早いので一時的な問題なのでしょうが)

P1100593.JPG
▲快速「おはよう信越」に使用されるとみられる485系6両編成。@新潟


2.車両(組成)の変更 ~ 通勤客輸送の切り捨て?

まず、車両については現在のJR西日本所属の583系が継続して使用されるものと見られます。
これは、公式プレスリリースにおける「電車三段B寝台車」を有する車両が583系しかなく、
JR東日本所属の583系は6連1編成のみであり7連の組成は不可能だからです。

続いて、自由席の消滅について。
急行「きたぐに」での自由席車両の設定意図の1つとして、都市部での速達客輸送が挙げられます。
急行「きたぐに」を速達列車として自由席特急感覚で使う、ということです。
しかし、臨時列車では、定期的に利用する速達客はいないので、速達客輸送を考慮する必要はなく
従って自由席の設定も必要ないことから消滅に至ったものと思われます。
(尚、全席指定席である「おはよう信越」に関しては着席による快適化を図ったものと解釈できます)

P1100610.JPG
▲自由席はボックスシート構造。まぁお世辞にも長距離移動向けとは言えません。@新潟

また、A寝台については根拠はありませんが、
個人的には「多客期でも利用が少なかったのかな?」と勝手に予想しています。
(急行としての「きたぐに」には乗ったことがないので、この仮定が誤っている可能性は十分あります)

で、これらの分を吸収する意図なのか分かりませんが、B寝台は増車となっていますね。
(個人的には「ノビノビ座席」的な"指定席"もあったらと思うのですが…贅沢な要求ですね)


3.停車駅・経由地の変更 ~ 臨時列車としての輸送に特化?

湖西線経由への変更について。
長浜・米原・大津からの通勤客を輸送する必要がなくなるからなのか、
はたまた「新潟ゆき」を早い時間に到着させる為の所要時間短縮策なのかは分かりませんが、
鉄道ファンにとっては夏場の湖西線で「きたぐに」を撮影できるようになる喜びはあるでしょう。
恐らく主たる理由としては前者なのではないかと思っています。

新津→新潟間の快速消滅・亀田通過も、やはり通勤客輸送からの撤退と解釈できます。
自由席が消滅しているので快速化されたところでグリーン料金か寝台料金が必要なのですが。


と、ここまで臨時急行「きたぐに」について簡単にまとめてみましたが、
まずは実際に運転される様子を見て、実情を見てみるより他はありませんね。
(ただ、自分は関西人でも新潟人でもないので実情を見るのは難しいと思いますが…)

ではでは。

こんばんは。
年が明けてから京阪電車の話題が殆どありませんでしたが、
いつの間にか「きかんしゃトーマス号2011」特設ページにて動きがありました。

・「きかんしゃトーマス号2011」広報映像の公開
・10~16時に放送されるトーマスの自動放送が毎日に拡大(従来は土休日のみ)
・「きかんしゃトーマス号2011」宇治線出張運転(2/24~2/28)

まぁ、広報映像は別として残りは「毎度お馴染み」感があるので特に感想はありません。
(地元民だったら宇治線撮影に突撃してたんだろうけどなぁ…)

さて、都営バス10系統巡り①都営バス10系統巡り②都営バス10系統巡り③の続きです。
(行程概要は①の記事をご確認ください)


草39 金町駅

[草41]の終点・浅草寿町に到着し、暫く歩くと銀座線の駅入口が。
「浅草だ!」と思って近づいたのですが、なんとそこは田原町駅でした。物凄く意外。

というのも、銀座線の稲荷町・田原町は物凄く末端感があると思っていたからです(←偏見)。
稲荷町は実際問題、利用客最下位で乗車人数6000~7000人なんですが、
田原町の乗車人数は12000~13000人で推移しており隣同士とはいえ様相はだいぶ異なります。
街並みの雰囲気から考えても、田原町はもはや浅草の一部ですから。

で、田原町の駅入口の柱にはあるものがありました。それは…。

P1100867.JPG
▲何故か落し物が柱にくくりつけてある光景。商店街の方が拾ったんだろうな…。@浅草寿町

こうした光景がよくあるのか珍しいのかよく分かりませんが、
個人的にはこういう光景が久し振りなこともあってちょっと心が温まりましたね。
(しかし、落し物をされた方が観光客だと残念ながら見つかる確率は限りなく低くなりますね)

次に乗る青戸支所の系統は、このプチ旅行計画の中で日中運行間隔が唯一20分以上。
寒い中待てど暮らせどバスは到着せず、ようやく対向車線に青戸支所の回送車を発見。
(車体側面に「B-V333(渋谷)」のように営業所・支所名が記されているので分かりやすいです)
「もうすぐ来る!」と思いながら待つこと数分、到着したバスに乗り込みました(←ここ重要)。

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▲経由地表示はないですね。金町ゆきの都営バスはこれだけですが。@浅草寿町

浅草寿町発車時点ではガラガラだったので「本数も少ないし、需要ないのかな」と思いきや、
次の浅草一丁目で大量にお客さんが乗ってきてまさにすし詰め状態。
ほとんどがおじさん~おじいさん、おばさん~おばあさんでしたが、下町ならではでしょうか?
車内では競馬新聞やワンセグで相撲の視聴等、皆様が各々のことをされていました。

さて、本所吾妻橋を出たところで次のバス停は業平橋駅前。しかし、僕は異変に気づきました。

「次は、言問橋、言問橋…」

この時点で怪しいとは思っていましたが、その後バスが直進すべきところを左折するのを見て、
僕は確信しました。そう、このバスの運転士は致命的な勘違いをしていると。

…ふざけた責任転嫁はこの辺にしておいて、なんと僕は乗る系統を間違えてしまったのです。
本来は[上23]平井駅前ゆきに乗る予定だったのに…。慌てて言問橋で降りる羽目になりました。


都08  錦糸町駅

言問橋(ことといばし)…面白い地名ですね。その由来は在原業平の詠んだこの歌にあるようです。

名にし負わば いざこと問わむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

この歌の意味をかつて受けた古文の授業の曖昧な記憶を繰り出しながらいい加減に書くと、
江戸にやってきた在原業平が都鳥を見つけ、
「都という名がついているからには」と自分の恋人はまだ自分を想っているのかと問う歌です。
(きちんとした解説は伊勢物語関連の書籍をご参照くださいませ)

ところが、この歌に関係あるのは現白鬚橋付近にあった「橋場の渡し」のようなんですね。
一説には、明治にこの地で団子を売ろうとした主人が、
隅田川にゆかりのおある在原業平から「言問団子」と名付け(これは今でも有名ですね)、
売りだしたところ人気になったことからこの土地が言問ケ岡と名付けられ現在に至るんだとか。

P1100021.JPG
▲言問通りを経由し、上野公園~根津駅前~押上~亀戸駅前を通る[上26]。@谷中~上野桜木

で、この言問橋から押上まで移動しなければならないのですが[上26]は本数が少ない。
距離もさしてありませんし、今回は歩いて押上に向かうことにしました。
(尚、[上26]は上野桜木から言問通りを業平橋方面に進むと、
 正面に東京スカイツリーが近づいてくる車窓が見られるのでお薦めですよ!)

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▲高架より、ビル群の間から背を伸ばすスカイツリーの画。@上野桜木~下谷二丁目

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▲平地に降りるとその高さがひしひしと伝わってきます。@下谷二丁目~入谷鬼子母神

業平橋駅まで近づくと、かなり大規模な工事があちこちで行われていました。
きっと、全部スカイツリーを主軸とした事業なんでしょうね。
(ところで、浅草近辺を走っていた東武系のバスの行先を見たら、
 なんと「東京スカイツリー前」となっていたのですが…。これは些か気が早すぎな気が)

因みに勘の鋭い方はお気づきでしょうが、業平橋もかの在原業平から地名がつきました。

本来ならば押上まで歩く筈だったのですが、
業平橋駅前からでも次の系統[都08]に乗れることが発覚したのでそこから乗車。
乗務員さんの接客は…うん…よい訳ではないです…。
(南千住営業所は観光路線バスを謳う[S-1]も担っているので、
 接客には特に注意を注ぐべきだと思うのですが…。もしかして乗務員シフト別だったり?)

ところでこの系統番号、今までの系統番号と性質が違うことにお気づきでしょうか?

・白61…目  ・上69…野  ・池86…袋  ・王40…子  ・草39・41・63…浅

そう、今までの系統番号は全て経由地の地名に則っているのです。
ところが「都」に関しては、都01~08がありますが運行されている地域に共通性はありません。
実はこれ、都市新バスというバスなのです。

都市新バスとは、都市交通上重要なバス路線に様々な施策を施し、サービス向上を図ったもの。
初期には国からの補助金も投入され、都営バスだけではなく様々な府県で導入されています。

都営バスでは1984年に、渋谷駅前~新橋駅前の[都01]を皮切りに全国に先駆けて導入されました。
後から「グリーンシャトル」という愛称も付けられる等、都も本気だったのです。

・バス停はシェルター構造・接近情報の表示・音声案内付
・車両は冷暖房完備・大型窓・ワイドドア・次駅表示装置・セパレート型ハイバックシート
・インフラ面では道路にバスレーンを導入・頻発運転の実施・運行管理システムによる間隔調整

と、当時にしてはまさに素晴らしい設備の数々で、利用客は1.5倍に跳ね上がりその後も順調に推移。
この取り組みは結果的にバス車両の設備全体の底上げにもなりました。

P1030027.JPG
▲「グリーンシャトル」の銘板のほか、(横断幕で隠れていますが)専用のマークも設定。@渋谷駅前

で、[都08]はこの取り組みが行われた最後の系統。愛称は「グリーンリバー」で、隅田川に因みます。
錦糸町駅前・の2つ前、太平三丁目で降りて、同じく都市新バスの[都02]に乗り換えようとしたところ…。

P1100879.JPG
▲信号の状態からしてどう考えても間に合いません…。@太平二丁目~太平三丁目

あと10分ぐらい待ってもよかったのですが、あまりにも寒いので錦糸町までまた歩きます。
結局、ここで時間切れ。旅行計画は途中で打ち切る形になってしまいました…。
まぁ、都営バスに関して色々な発見や刺激があったのでよしとしますか。


この連載はこれで終わりです。ではでは。
10系統乗っていないだろうって?学校への行きと駅から家までの帰りに1系統ずつ乗ってます(笑)
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