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こんばんは。今日、学校での家庭科の授業でビデオを見ていると、なんと同潤会アパートの特集が。

自分「同潤会アパートって、青山にもあったんだけど今は表参道ヒルズで再現されてるんだよ」
友達「へぇ、よく知ってるじゃん」
自分「…って、一昨日調べたらあるサイトに載ってた」
友達「タイムリーだね…いや、たまたまか」

(以上の会話には若干の脚色が含まれています)

ということで(?)、「江戸川乱暴な都バス旅」シリーズもいよいよ最終回。
①(新橋~木場)②(木場~東大島)③(東大島~菅原橋)④(菅原橋~一之江)と参りましたが、
今回は(遠回りをしながら)ゴールとなる葛西へと向かいます。


~ ロータリーに関わるロータリークラブ ~

一之江駅前のバスロータリーは駅の規模の割に無駄に立派な作りになっています。

P1110099.JPG
▲綺麗な花、よく分からないモニュメント、地下駅のくせにやけに高い駅舎。@一之江駅前

流石は都営地下鉄×都営バスだけあって、連携プレーはバッチリということなのでしょう。
実際、都営新宿線開業当時はバスとの連絡を図る取り組みを行なっていたのだそうです。

時計台もあるのですが、その下にある銘板には「東京臨海東ロータリークラブ」の文字が。
「わざわざロータリーの為にクラブを作るんかい!」と突っ込んでしまったのですが、
調べてみるとこの「ロータリークラブ」はバスロータリーとは全く関係ないことが分かったのです。

臨海東ロータリークラブは、母体となる団体を辿るとアメリカ発祥の「国際ロータリー」になります。
最初のクラブはシカゴにでき、例会の会場をローテーションで提供したことからこの名がつきました。
クラブに所属する人は言行を「四つのテスト」に照らしてから行動するべきとされており、
「真実かどうか」「みんなに公平か」「好意と友情を深めるか」「みんなのためになるかどうか」だとか。


~ 一之江駅前の次が終点、その真意は? ~

さて、この一之江駅前は多くの都営バス路線の発着拠点となっており、
新小20臨海28甲臨海28乙葛西22の4系統の始発停留所となっています。
その他の都営バスは、前回ご紹介した春江町終点ゆき以外日中は全て葛西方面に流れています。
が、ある系統に限っては何とも中途半端に思える場所が終着となっているのです。

P1110108.JPG
▲見づらいですが、始発バス停にご注目。一之江駅前ではなく「今井」になっています。

「今井」停留所は、一之江駅前からわずか1停で到着してしまいます。
橋を渡るとはいえ、決して歩くことが苦になるような区間でもありませんし、
今井に特段の集客を図れる施設が存在する訳でもありません。
今でも「今井」停留所が終点となっている理由は、亀26の歴史を遡れば分かります。

この系統は、元々城東電気軌道という路面電車からできた系統で、
都電を経て日本では黒部でしか見かけなくなったトロリーバス101系統に転換されました。
トロリーバスが廃止されると代替バス601系統が運行を開始、後に上26に名を変えます。
しかし、[上26]は上野~亀戸~今井という長距離系統であり定時運行が困難だった為か、
平成の時代に入って亀戸を境に分割、今井側を[亀26]に改め現在に至るという系統です。

…おっと、これでは全く説明になっていませんでした、すみません。
実は、今井にはトロリーバス時代に営業所が置かれており、バス転換後も支所が残っていたのです。
現在ではなくなってしまいましたが、それでも跡地に建った都営住宅の1階には操車場があり、
かつて今井が都営交通の拠点であった頃を彷彿とさせます。
(実は今回、今井に行きたかったのですが時間がなくて断念。またの機会に訪れてみます)

さて、そんな[亀26]に一之江駅前から乗って今井街道を通り、京葉交差点で降りました。
まさに京葉道路との交差点ですが、勿論千葉県なんてことはなくれっきとした東京都です。
(都営バスなんだから当然東京都だろ、と思いがちですが実は埼玉県にバス停が2つあります)


~ 関連系統、表し方色々 ~

これまで、弊ブログでは1つの系統に対する関連系統として系統番号の後に、
「甲」「乙」「丙」をつける、「折返」をつけるといった方法をご紹介して参りましたが、
京葉交差点では(都営バスでは比較的)珍しいと思われる関連系統が到着しました。

P1110111.JPG
錦27-2。みんくるガイドには記載されていない系統でもあります。@京葉交差点

関連系統とはいえ、本系統(小岩~両国)の半分ぐらいのところ(京葉交差点)で分かれ、
そのまま6停(船堀ゆきは5停)も進む系統ですから別系統でもいい気がしますが、
10本/日程度の系統ですし並行する区間には主要系統が頻発していますから、
わざわざ新系統名を与えるまでもないように思います(この系統自体入出庫目的のようですし)。

自分は(特に大きな理由でもないのですが)新小21に乗りたかったので乗車。
小学生のとき、車内の啓発放送を吉本の芸人の方が担当されるキャンペーンがあって、
父と共にこの系統に乗って以来およそ6年ぶりの乗車になりました。

ところが、道路なかなか渋滞していてあまり快適な移動とは言えませんでした。
道路の幅が広いように見えて実質片側1車線しか利用されていなかったのです。
素人でも「対策必要じゃないの?」と思ってしまいました(が、後日ある光景を見て拍子抜け)。


~ コミュニティな系統がいっぱいの葛西地区 ~

[新小21]を船堀駅前の1つ先、船堀小学校前で降りまして待つことすぐ。

P1110113.JPG
▲露出設定をミスってLED表示がろくに見えない写真ですがご容赦を…。@船堀小学校前

葛西24、なぎさニュータウンゆきです。
みんくるガイドで太線表記でない(=10分間隔より本数が少ない)割に本数は多いようです。

このバスもまた細い道を進んでおり、コミュニティバスっぽい雰囲気があります。
というより、葛西駅前・西葛西駅前から発着しているバスの行先を見ると、
なぎさニュータウン」「コーシャハイム南葛西」「臨海町二丁目団地前」というように、
いかにも住宅地⇔駅の輸送を担っているような雰囲気がプンプン漂うのです。
この辺はバス停名を眺めているだけでも生活感を味わうことのできるエリアですね。

およそ10分ぐらいでしょうか、葛西24は無事に葛西駅前に到着。
これにてこの日の都営バス活動は無事に終了しました。

P1110116.JPG
▲英語表示では何故か「kasai-eki-mae」と、大文字が使われません。


さて、この連載のタイトルは「江戸川乱暴な都バス旅」。
この旅が無計画且つ乱暴なものであることは皆さんにもある程度ご理解頂けたかと思いますが、
江戸川という割にはそんなに江戸川区に滞在していた訳でもありません。
このタイトルの意味は、今回乗車した系統の営業所・支所を紐解けばお分かり頂けるでしょう。

江戸川営業所:[新小21][葛西24][錦25][新小29][錦27]
江戸川営業所臨海支所:[AL01][亀26][平28]
・渋谷営業所:[都01]
・深川営業所:[業10]
・江東営業所:[都07]

乗っていた系統の約8割が江戸川営業所関連だったのです…流石に乗りすぎた。
江戸川営業所は放送のトーンが他営業所のそれより低めの声だったり言い回しが独特だったり、
個性が割と強くバスファンの一人として面白い体験ができたと思います。

バスについてそれほど詳しくなくとも、街の様子を見ながら移動できるバスは魅力的。
特に商店街を見る度に(一度も訪れたことがないにも拘わらず)懐かしさを覚える感覚はいいですね。
またこうした旅をしてみたいな、と思える旅でした…この2日後にも似たような旅をする訳ですが。

この連載はこれで終わりです。毎度ながら長らくのお付き合いありがとうございました。
(今後は鉄道考察を1回挟んでバス旅行ネタを3~4回連載で綴る予定です)
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こんばんは、最近寝不足なのか機嫌が悪くなりつつあるKeihan7203Fです。
(早く周囲に迷惑をかける前に体調を整えないとなぁ…と思いつつ夜更かしをしてしまうのです)

今回も、江戸川乱暴な都バス旅①江戸川乱暴な都バス旅②江戸川乱暴な都バス旅③の続き。
前回は、新小29乙系統の終点の謎を残したまま記事を終わらせましたね。


~ 商店街で賑わう沿線 ~

前回の記事を読まれた方は、「同潤会前」という停留所名に疑問を抱かれたのではないでしょうか?
要するに、「同潤会とはなんぞや?」ということなのですが。

同潤会は、戦前に関東大震災後の住宅復興を目的として設立されたようです。
同会が建設した鉄筋コンクリート造りの「同潤会アパート」は、東京のあちこちにありました。
(現在残存しているのは台東区の「上野下アパート」のみで、他のアパートは取り壊されましたが、
 表参道ヒルズの一角には安藤忠雄が「青山アパート」の雰囲気を再現した建物があります)

同会、実は木造の集合住宅も造っており、
同会が住宅建設・区画整理に関わった地域が新小29乙系統沿いにあるということなのです。
「同潤会」という存在は今でも地元の方の暮らしにも大きく関係しており、
新小29も通る「同潤会通り」や「同潤会病院」等にその名残があると言えるのではないでしょうか。

話を新小29乙に戻すと、この系統の沿線には様々な商店街が見られます。
同潤会通り沿いには「ハッピーロード七福商店街」「ニコニコ商店街」があり賑わいを見せるほか、
一之江駅前方面に左折すると「今井街道 しらさぎ通り」となりこちらも商店街の雰囲気。
この地域の商店街を巡る、なんて旅もいいかも知れませんね。


~ 末端感漂うその終点の正体は…? ~

前回の記事で謎を残して終わらせた「春江町」「春江町終点」の話。
いよいよ終点が近づき、「ピンポーン」という音と共に電光掲示板の表示が変わりました…。

P1110086.JPGP1110087.JPG
▲「春江町終点」はきちんとした停留所名だということが分かりました!

放送でもきちんと(?)「次は、春江町終点、終点でございます」と言っていました!
しかし、「春江町終点」が摩訶不思議な停留所名であることには変わりありませんね。

調べたところによると、もともとこの系統は春江町より先に足を伸ばしていたようなのですが、
運転区間を縮小して途中の「瑞江斎場」停留所止まりになったのだそうです。
しかし、並行している京成バスは瑞江斎場より先に行くことから利用者が混乱。
更に、斎場が終点=人生の終わりみたいで縁起が悪いということもあってか、
地元の方の「分かりやすく終点と呼べばいい」という意見により現在の停留所名になったんだとか。

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▲写真を撮影した場所が降車停留所、奥に簡素なロータリーと乗車停留所が。@春江町終点

更に不思議なのは、「春江町終点」は起点でもあること。
「終点に到着したバスは折り返すんだから当たり前だろ」と思われるでしょうが、
その起点でもあると同時に戸籍上・書類上の起終点表記における起点でもあるのです。
(半信半疑の方は是非都営バスのページでご確認頂ければと思います)

こうなったら「春江町終点始発のバスに乗るしかない!」と思った矢先、目に飛び込んだものは…。

P1110091.JPGP1110092.JPG
▲何なんだこの本数の少なさは…。因みにこのときの時刻は10:30ぐらいです。@春江町終点

えぇ、まぁ、終点に相応しい本数なのかも知れません(←意味不明)。
実際問題、この周辺を歩いても人を殆ど見ませんしバス車内もガラガラでしたし…納得です。


~ 足尾銅山鉱毒事件に通ずる理論 ~

次のバスは11:49、一時間以上待つのもアホらしいのでバスで来た道を一之江駅前まで戻ります。
バス停の名前にもなっている明和橋の下を流れるのは新中川

P1110095.JPG
▲沢山の船が浮かんでいますね。どういった船なのか気になります。

新中川があるからには当然中川がある訳なのですが、
新中川は戦前に起こった水害の反省として高砂で中川と分かれて、
江戸川(地名)で江戸川(河川名)と合流する形で開削が予定されていました。
しかし戦争によりそれを中断、以後家屋の立ち退き等を経て1963年に完成したんだとか。
(従って天然の川ではなく、実際1965年までは中川放水路と呼ばれていました)

この、「住民を立ち退きさせて公共物を完成させる」という日本の行政のスタイルは、
明治末期の足尾銅山鉱毒事件による谷中村民の立ち退きに始まり、
成田空港の建設でも同様の理論が罷り通っています…と、今日歴史の先生が仰っていました。


~ 区が支えるウォーキング ~

橋を渡り、間もなく一之江駅。ここで、歩道にあるマークが埋め込まれていることに気づきました。

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▲図らずとも青春っぽい一枚が撮れました(←自画自賛もいいところだ)。

で、左下。「健康の道」と書かれているのですが、特に道路自体に健康要素はありません。
これは、江戸川区がウォーキングや散策等を気軽に楽しめるようにとの計らいで、
区内約25箇所の道路・公園等を「健康の道」として整備するというもののようです。

自治体の福祉部等が健康の為の運動を啓発しているのはよく見られることですが、
この事業の主体は土木部計画課調整係ということで、ハード面で区民の健康を支えています。
他の自治体でもこのような運動が広がればいいですね。


今回はここまで、次回(最終回)は本当にバスに乗るだけの回になると思います(汗)
ではでは。
こんばんは、今日は学校の行事で色々とありかなり疲れているKeihan7203Fです。
今回も江戸川乱暴な都バス旅①江戸川乱暴な都バス旅②の続きをお送り致します。


~ やたら気合の入ったAL01 ~

東大島駅発着で、平日の朝夕のみ運行されている系統があります。それがAL01系統。
ALとはAccess Lineの略で、元々は小松川地域の新興住宅地~東大島へのアクセスを図って、
試験的に運行したものが人気を博したことから本格的な運行が行われるようになったものだとか。
運賃は通常の都営バスの半額(大人100円・小児50円)となっておりかなりお得です。
(尚、アクセスラインの2号目は豊洲に誕生しましたが、こちらは一般系統豊洲01となりました)

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▲バス停でもワンコインとして運賃の安さを売りにしていることが分かります。@東大島駅前

車両は、かつて専用塗装の施された車両に黄色地の幕が用意されていましたが、
最近では一般のバスが運用されており特異性はさほど感じられなくなりつつあります。

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▲この行先表示、運行形態に対して忠実ではありますが誤解を受けそうな気が…。@東大島駅前

運行形式としては東大島駅から片方向循環となっており(行先も常に東大島駅前ゆき)、
バス停の間隔の短さからも停留所名からもますますコミュニティバス感が漂います。

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▲地域外の方からは「?」な停留所名もありますが、これでいいのでしょう。@小松川第二保育園前

東大島駅前からは、そんなAL01系統の朝の最終便(9:20発)に乗車しました。
しかし、この系統の目的を考えると朝に駅から住宅街方面に向かう需要なんてない訳で、
東大島駅前時点での乗客は僕だけ。それでも途中の停留所からは親子連れが乗る等、
確実に地域の足としてしている様子が伺えました。


~ 地域の足、他社の領土 ~

小松川第二保育園前から歩くこと数分、小松川三丁目停留所からは錦27に乗車。

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▲左上に何かあるとか気にしない。道路工事のせいだということにしておきます(笑)@小松川三丁目

しかし、ここまで乗ったバスは全てノンステップバスであることを思うと、
バリアフリー面では評価できる一方で非ノンステップバスの消滅はバスファンとして複雑な心境です。

暫く進んでいくと電光掲示板には「次は文化センター前」と表示されました。
しかしながら、放送では「江戸川文化センター前」と言っており、差が見られるのです。
鉄道ではなかなかない現象ですから、いかにこの系統の利用者に地元の方が多いかが分かります。

さてこのバス、写真から分かる通り小岩駅ゆきなのですが、
都営バス的観点では新小岩駅(北口)発着のバスは6系統(うち頻発系統1系統)ある一方で、
小岩駅発着のバスはこの系統だけ、みんくるガイドを見ても孤立しているように見えます。
しかし、小岩駅発着のバスが都営バス1系統だけの訳はありません。一体どうなっているのでしょうか?
その答えは、下車した菅原橋停留所の時刻表が教えてくれました。

P1110074.JPG
▲都営バスの文字に並んで見えるのは「京成タウンバス」の文字。系統は違えど経路は同じ。@菅原橋

時刻表の様式が都営バスのそれとは微妙に違いますし、
時刻表の下に引かれている2本の帯の色(赤・青)が京成らしさを出していますよね。
要するに、小岩エリアは本格的に京成グループの領土となっていると言える訳です。
(実際問題、新小20は都営と京成タウンバスの共管運行になっています)
私鉄系バスは都内210円均一が一般的ですが、ここは都営バスを意識して200円均一になっています。


~ 春江町?春江町終点?謎だらけの新小29乙 ~

菅原橋からは次の系統:新小29乙に乗るのですが、この系統にはある大きな謎があります。
それはこの系統の行先について。北側の終点は紛れも無く東新小岩四丁目なのですが…。

P1110076.JPGP1110079.JPG
▲停留所に書かれた行先は「春江町」「春江町終点」と一定していませんね…。

P1110088.JPGP1110081.JPG
▲バスも車外の方向幕LEDと車内の電光掲示板とで表記が一定していません…。

春江町終点とは一体何者なのか?その謎に次回迫りたいと思います。ではでは。
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